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集団的自衛権行使容認

2014.08.18

集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。

これまでの政府の憲法解釈は「集団的自衛権の行使はできない」というものでした。そのため,「これまでの憲法解釈を覆すものである」という批判をはじめとして多数の批判が今回の閣議決定に対して向けられています。

今回の閣議決定の問題点は何なのでしょうか。

 

閣議決定で憲法解釈の変更はできるのか

法的安定性という観点からすると,憲法解釈の変更はむやみにしないほうが良いのですが,必ずしも憲法解釈の変更が不可能であるとまでは言えません。また,誤った憲法解釈をしていた場合には,その誤りを訂正して正しい憲法解釈へ変更することは望ましいことであるように思われます。

このように考えると,法的安定性に配慮しさえすれば,正しい憲法解釈に合致する解釈変更は問題なさそうです。

そうすると,問題点は,憲法解釈の変更をするということそれ自体にあるのではなく,誤った憲法解釈へ変更することにあります。そして,誤った憲法解釈への変更は,その解釈自体が違憲であり,認められません。

過去の政府見解によると,「集団的自衛権の行使は認められない」とされてきました。そうすると,集団的自衛権行使容認への憲法解釈の変更は,誤った憲法解釈への変更であり,認められないようにも思えます。

ただし,「集団的自衛権行使は認められない」という過去の政府見解自体が誤っており,真実は「集団的自衛権行使は認められる」場合もあるかもしれません。

そうすると,問題の核心は「集団的自衛権の行使は憲法解釈上認められるのか」という点にあります。

 

そもそも「集団的自衛権」とは何なのか

「集団的自衛権」とは,何なのでしょうか。

「集団的自衛権」とは,憲法にも法律にも明記されておらず,国際法上の概念です。実は,「集団的自衛権」という概念自体が混乱しており,明確な定義はありません。一応いえることは,「集団的自衛権とは,他国への攻撃が起こった場合に実力行使をすることである」という程度にとどまります。しかも,集団的自衛権には多様な概念があります。

「他国への攻撃と自国への攻撃が同時に起こった場合に,他国と共同で自衛権を行使すること」というように,「自国への攻撃」を条件とする集団的自衛権概念も唱えられています。このような「自国への攻撃」を条件とする集団的自衛権概念は,個別的自衛権概念との距離はさほど遠くはありません。

また,「個別的自衛権」の概念にも広狭があり,個別的自衛権は集団的自衛権と重なりうる概念となります。

このように考えると,「集団的自衛権」と「個別的自衛権」は,必ずしも別個独立の概念ではなく,重なりうる概念であると言えそうです。

 

閣議決定の内容を精読しよう

「集団的自衛権と個別的自衛権の概念は不明確であり,重なりうる」という点を念頭において,閣議決定を精読してみましょう。

 

 3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

 (1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

 (2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。

 この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

 (3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

 (4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

 (5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。

 

ここで重要なことは,「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使すること」です。

このような条件が付けられた実力の行使は,個別的自衛権の概念に取り込むことが可能です。

 

さらに,次の記述があります。「国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」

この部分は,「日本はあくまでも個別的自衛権を行使するにとどまる。その個別的自衛権が,概念上,集団的自衛権にあたることもある」という読み方が可能です。

 

要するに,「集団的自衛権の行使容認」という大合唱は,「日本の防衛戦略が転換した」のではなく,単に「個別的自衛権と集団的自衛権とが概念上重なる部分が見つかった」というものに過ぎないことになります。

客観的状況に何ら変化はなく,個別的自衛権が認められる範囲を慎重に検討すれば足りることになります。

 

閣議決定を平和主義の防波堤にする読み方

閣議決定は,行政権行使の指針を示すものに過ぎません。日本国憲法73条によると,内閣は,憲法が定める事務の他には「一般行政事務」しか行使できません。内閣はその程度の存在です。

そうすると,今回の閣議決定には,さほど大きな意味はなく,「個別的自衛権と集団的自衛権とが概念上重なりうる部分が見つかった」という程度の意味しかないと考えるのが穏当です。

そのように考えると,個別的自衛権を超える集団的自衛権を行使しようと目論むことは,閣議決定違反になります。

怪しげな目論みに対しては,閣議決定違反であるという批判が可能になります。

 

まとめ

「集団的自衛権行使容認の閣議決定は立憲主義を切り崩す」「ルビコン川を渡るにひとしい」という争い方に加えて,「集団的自衛権行使容認の閣議決定はこれまでの解釈と何も変わらない」という争い方で権力の暴走を押さえ込もうとするのは,副作用が強いでしょうか?